シーズン最後のフルマラソンからひと月経ち、ようやく気持ちの整理が付いて落ち着きました。この悔しい思いを忘れないうちに書き留めておこうと今思います。
レース中は大失速をかましたうえにゴールでまさかの体験、大会全体を通して大きな屈辱感を味わったことで忘れられない大会となりました。
まだまだこの趣味を終わらすつもりは毛頭ありませんから、この気持ちを胸にしまって未来に向けて再び重ねていく所存です。
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東京マラソンから15日、フルマラソン最終戦
ガーミン正常
2022年3月21日フルマラソンチャレンジin荒川河川敷にエントリーしたことは、この大会が2021〜2022シーズン最終戦であるここと、何よりもPBを狙えるコースだったことに起因しています。
結果は冒頭で示した通り夢破れた内容だったのものだったのですが、この大会の評価自体は高く推移していて揺るぎないものになっています。
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今回は河川敷コース&ペースメーカーの設定があるので、東京マラソンのようなガーミンの誤作動はあり得ないと不安にもなっていません。
序盤から変だった
そして早くもレース内容なのですが、スタート後からリラックスを意識して、快調にサブ3.15ペースランナーに付いていきます。
ペースランナーがサブ3.15設定のマラソン大会はほぼなく、久々のペースランナー設定となりました。
ですが30Kシリーズで得たコツとして、ペースランナーから少し離れた位置取りで序盤は快調でした。
しかし早くも15キロの折り返し後、早々とふくらはぎに違和感を覚えます。まさかの脚攣り兆候です。
水分とミネラルをこれでもかと充填した後にスタートしたにも関わらず、これほど早い段階でピクピクと症状が現れたのは初めてのことで狼狽しました。
取り敢えずスピードは落とさず騙し々も距離を重ねていきました。
ハーフで付いて行けず
ハーフまではペースランナーになんとか付いていけました。その時点でベストタイム更新ペースではあったのですが、冷静に体調や息遣いを考慮すると、まずこれはゴールまで維持できないとの確信はありました。
案の定25キロからは徐々に遠のいていくサブ3.15集団、周回コースだけに折り返すと集団との離れようが分かってしまう焦燥感。
それでもまだPBは狙えるから諦めないと奮起したものの、マラソンペースから遠ざかりキロ5分を割ってくると徐々に気持ちが折れていきます。
さらにスタート前空を覆っていた雲はどっかに消え去り、春とはいえ3月の直射日光は発汗を誘います。25キロからは暑さが本格化し、ますますペースダウンを余儀なくされました。
脚つりが頻発
スタートから30キロを過ぎた頃から想像通りの結果となります。そしてスピードを上げると攣る症状が顕著になりだします。
よってペースをガクンっと落として対処、自分で用意したスペシャルドリンク(濃いめの経口補水液)を、30キロの給水から手に持ちチビチビ補給を繰り返したのですがダメでした。
PB目標はとっくに失ったけど脚を止める気はさらさら無し、こんな状況でもゴールまでちゃんと自分自身を運ぶだけと鼓舞して歩を進めます。
経験上脚を止めたら本格的に攣って脚が動かなくなり、レース自体終了になると思い絶対に止めない意思でペースだけ落として様子を見ました。
サブ3レベルのランナーは強い
この大会は10キロ周回コースという設定、よってトップランナーと何回もすれ違います。最終盤キロ6分半オーバーまでペースが落ちた付近で、サブ3ランナーがゴールを迎えるシーンを目の当たりにしました。
普段のマラソン大会ではコース形態上ゴール間近に出会う機会はほとんどなく(湘南国際とか青太はある) 、速いランナーたるものこういうものであると思わせる貴重な体験となりました。
すれ違うサブ3レベルの方達のゴール間近、みんな鬼の形相で最後の力を振り絞って脚を動かしています。
辛いのはどのペースでも変わらないと改めて実感、走力うんぬんとかは抜きでこのクラスになるとメンタル強い選手が多く最後まで実力を出し切る覚悟そのものが違います。
とうとう心折れる
その後40キロを過ぎた辺りで暑さで意識が飛びそうになり、フッと集中力が0になった時、大会では久しく会っていない子悪魔が笑って囁きました。
・・・お前もう歩いちゃえよ
すんなり脚を止め歩き出しました。コロナ前を遡てもフルマラソンで歩くのは超久々です。
一丁前なこと書いてきたけど臆することなく歩きました。ブログネタになるからいいや、と投げやりになってテクテクと。
そして本格的に脚が攣り出し、ちょっと走ってみるとすぐに攣る負の連鎖が始まりました。
ようやく辿り着いたゴール地点は、色んな意味で修羅場だった
歩いては気休め程度に走って攣るを繰り返す、そんなんで残り数キロを誤魔化すつもりでした。でもそれさえもできなくなり、このまま歩いてゴールで構わないと決め込み42キロ目を目指しました。
制限時間の4時間は歩いてもクリアできるし、もはや自暴自棄でヤサグれてますから、頭の中はビールジョッキがいくつも回り、早く会場近くの居酒屋で飲みたいとか考える始末です。
まさかの演出が待っていた
身も心も疲弊した状態でようやく辿り着いたゴールで待ち受けていたもの、それはちょっとでも走ると再び攣ってしまう過酷な状況でした。
先の方に見えて来たゴール地点では、さっき私を追い越して行ったランナー達が、とっても快活なMCのパフォーマンスに迎えられ実名を呼ばれながらゴールゲートをくぐっているではありませんか。
○○さんゴーーーール!
不運にも前後に誰もいない
運が悪いことにゴールまで私の前にはもう誰もいませんし、後ろを振り返ると結構距離が空いています。歩きながら確信しました。
格好悪い
名前を呼ばれながら歩いてフルのゴール、秋からフルマラソンに向けて頑張ってきた自分にはこれは受け入れ難く、とにかくランナーとして格好悪過ぎます。
ですから絶対に攣らないで欲しいと願いながら、ゴールまで残り200mほど限界突破した脚を無理に動かし、超小刻みなピッチ走法でヨチヨチと走ることを決意しました。
ゴールゲートまであと100mを切ると、ひな壇状の沿道から多くの声援と拍手が送られてきます。
いくつもフルを走ってきて、私ひとりだけに声援や拍手が向けられてゴールすることは初めてでした。これにはグッと込み上げるものがありました。
攣りながらゴール
残り100mを切るともう歩いても走ってもピクピクして攣る状態、立ち止まるしかこれから逃れる方法はないシビアな状況です。
とにかくゴールに早く辿り着いて倒れ込みたい、そう願ったけど数10mがこんなに遠く長いだなんて思いませんでした。
○○さん(私)ゴーーーール!
吐き気さえ催して顔面蒼白で青マットを踏んで終着点へ、押し寄せてくる脚攣りにその瞬間動けなくなりました。
右大腿前部が見たことないくらいボコッと固まり、両脚は広範囲に攣って緑色のパイロンに捕まりゴール横で3分程フリーズ、結果緑パイロンと同化しました。
MCの方や最後まで拍手してくれた人達、すでに走り切ったランナー達に見送られ、この時はなぜだか申し訳ない気持ちで一杯になります。
出直します
サブ3.15を目指したブロック、HPで名簿を確認すると総勢154人でした。その緑色ゼッケンのランナーに抜かれなくなったので、おそらく完走者の中でブロック内で私がビリだったんじゃないでしょうか。
これほどの撃沈理由は多岐に及ぶと思いますが、これは未だに分析できていません。総合的な走力、精神面、東京マラソンからの疲労、ピーカンの天候とか色々な要素が負のスパイラルで襲ったと思います。
ハッキリした原因を追求したくもないのですが、持ち合わせた実力全てがトータル的に足りなかったことだけは間違いありません。
その後から現在にかけて股関節の痛みが引かず、ひと月経っても未だ速いペースでは走れません。故障したみたいです。
それでも秋冬の大会に向けたモチベーションを掲げ、今までもそうであったように、また何度でも何度でも出直したいと今は思います。
燦々と降り注ぐ太陽の下でフルを走り(歩き)日焼けした大会翌日は、日中の最高気温が1℃以下でまさかの降雪となりました。
3月にしては日差しが超強く、案の定発汗が多くなって撃沈するよりも、着込んで対策する真冬環境の方がずっとずっとマシと言うものです。
これにはほんと1日ズレて欲しかったと心底思いました。