えちご・くびき野は聞きしに勝る素晴らしい大会でした。
今回で30年間の歴史に幕を下ろすことに、多くのランナーが残念な気持ちを綴っています。最初で最後となりましたが、参加して本当に良かったと思います。
完走メダルは重厚感あって質感が高く、裏 (表?) には上杉家の家紋、上越市は上杉家によって発展した歴史深い街なのです。
僭越ながら出身の新潟県内に、こんなにも愛された大会が30年も継続したことを誇りに思います。
今回は大会内容と個人的レポ、2泊3日上越へのウルトラマラソン旅行記となります。 (思いの外長編です)
上杉謙信 (春日山にて)
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大会前日、観光と車中泊

上越は杜氏 (とうじ) による酒造りの地
まずは大会前日の過ごし方から。
この日、ホテル代の高騰が目についた3連休初日でした。
前泊の予約が遅れたことも一因なのですが、上越妙高駅前のホテルが3万近くとか狂気の沙汰です。
ほぼ寝るためだけにこの出費には頷けず、よって前日は自宅でゆっくり過ごし、当日深夜の車移動が当初の予定でした。
でも最終的には事故などのトラブルリスクを避けるのと、男の1人旅を自ら演出するため、前日入りで観光を少しと、道の駅にて温泉と車中泊を楽しみ大会を迎えることとしました。

道の駅、よしかわ杜氏の郷にて酒造所を見学
観光は春日山と虫川の大杉

春日山神社にも謙信公
自宅出発後に圏央道と関越道の高速渋滞がひどく、嵐山小川ICまで渋滞回避のため下道を迂回利用したため、上越市の春日山まで想定外の5時間も掛かりました。
大会当日は3時起床なので観光は2ヶ所に決め打ちし、夕方には食事とお風呂を済ませ布団に潜り込む予定です。
まずは上杉謙信と言えば居城があった春日山へ、春日山神社で翌日の完走を祈願してから山頂へトレッキング。運転で固まった体をほぐすのに丁度いい山登りとなりました。

本丸跡を目指す

春日山、本丸跡からの眺め
謙信も見ていた上越市全景を望んだ後、2つ目に向かったのが虫川の大杉です。春日山からは車で30分ほどで到着しました。
ここはレース丁度半分の50km付近ですが、コースは近くをかすめるように進むため、走っていても杉の木は見えません。 (レース中確認済み)
コースから400m寄り道すれば、樹齢1200年の国指定天然記念物を見れるのにもったいないコース設定だと思いました。もしも大会が復活したら寄り道を希望します。

社殿との比較でわかるスケール感
澄みきった秋空の中、陰影に包まれた巨木を前に目を閉じました。そこにいるのは私と杉と静寂のみ。
自然の匂いがしてすっと心が洗われる空気感が漂っていました。

下から見上げる

1200年という悠久の歴史
道の駅・よしかわ杜氏の郷

道の駅内に地酒の製造・販売所あり
上越市で車中泊する道の駅を選ぶ際、会場から近めのよしかわ杜氏の郷かうみテラス名立の2択となりました。
うみテラスの方が海近でロケーションが抜群に良いのですが、ここは50kmの部のスタート地点ですから何かと騒がしいし予感、調べると全国的に車中泊のメッカということで、3連休中なこともありヤメました。
一方よしかわ杜氏の郷は、田んぼのど真ん中にあり基本は静か。幹線道路脇のため車が通ると騒音はありますが、それ以上に虫の音が心地よくぐっすり眠れました。
また敷地内にセブンイレブン、道路向かいに温泉施設があることも加点でした。
車中泊はキャンプ道具で段差を埋めて2列目より後ろを左半分フラットに、寝袋はやめて普段の布団を持ち込んだので、ウルトラ前日としては異例の8時間睡眠となりました。

乱雑な見た目以上に快適

トイレで起きると満天の星空
ウルトラマラソン100kmの道のり
予定通りに3時に起床、歯磨き後に敷地内のセブンでパスタを購入して食します。
座席を倒さなかった2列目の席にて走る準備に取り掛かり大方整ったら出発、20分で指定駐車場に到着し最後にカステラを食べて会場行きシャトルバスに乗り込みました。
闇夜に煌々と光る謙信公武道館が見えると、これから100km走るんだと気持ちが入ります。

会場の信玄公武道館にも謙信像

Bブロックスタートを見送る
走る格好に完全変身し手荷物を預けへ、30分早くスタートするBブロックのスタートを見に行きました。
皆さんボディバッテリー満タン、笑顔満載でスタートしていきました。
その後はCブロックなので特に混雑もなくトイレを済ませ、朝ランニングがとにかく苦手なためアップをしようとスタート場所へ移動しました。
記録を狙っているでもなく、皆さん完走は堅いウルトラランナーですから、スタート位置はどこでもいいんです。
簡単なセレモニーが終わり午前5:30号砲、私の長〜い長〜い旅路がスタートしました。

薄ら明るい中スタート
コースは楽ではない方

日の出と田園、感慨無量
えちご・くびき野100kmのコースを思い返してみると、都市部あり山あり川あり海あり田んぼあり、となんて素敵なコース設定なんでしょう。
丸一日全てを楽しむつもりで参加したのですが、レース中のキツさも含め想像以上に上越市を満喫できたと思います。
コースは前半部にアプダウンが集中しているのが特徴で、いかに低燃費で峠を越えていくかが後半の明暗を分けます。

坂の途中に柳葉ひまわり
この後も数カ所で出会う
個人的には来年の富士登山競走へ向けての練習の一環として、アップダウンはとにかく歩かないを標榜に頑張りました。
スタート後15km過ぎから60km付近までの峠の連続、とても効き目あるロング峠走となりました。
この手のウルトラマラソンコースは、関門時間と相談して上りは歩いてやり過ごすでもOKだと思います。
でも下りで歩いてるランナーはほとんどいません。
上りを頑張った褒美に、私は下りはゆっくりペースだったため、周りのペースの速さが際立っていました。
このような下りが長いコースでは、快調でペースを上げると着地衝撃が長時間継続するので脚の前面筋肉が知らないうちに破壊されます。終盤に足を温存するのと、翌日以降の筋肉痛回避のため、下りは程々なペースが1番です。
アップダウンとオサラバした後の柿崎付近からは平坦路がメインになりますから、後半は難易度は低い部類だと思います。

アップダウンのダウン中 (すすきの奥にコース)
お楽しみオアシス、それがエイド

最初のエイドからそばあり
エントリー開始後すぐに満員御礼になるこの大会の人気は、間違いなく地元色が強く多彩なエイドが点在することが理由の一つです。
上越市各地区でのおもてなしの特徴が違うことで、次は何の食べ物が出てくるか、どんな演出かを楽しみにウルトラマラソンを乗り越えられます。

くじら汁 (新潟では食卓にも並ぶ)

冬から保存しておいた雪で冷却

マッサージだってある
ざっと覚えているだけでお蕎麦、おぼろ汁、くじら汁、きのこ汁、うどん、お蕎麦、つみれ味噌汁、笹団子、和洋菓子、海賊汁、おやき、甘酒、おまんじゅう、新米コシヒカリおにぎりetc. 美味しいエイドステーションが押し寄せてきます。

新米おにぎりうまし
下越地方が出身地なので新潟の新米の美味さはよく知っています。
マラソン中にこんなに新米おにぎり食べていいの?、てなくらいおにぎりは食べました。よってエネルギー切れを感じる瞬間は皆無でした。(暑さにやられ終盤は食欲なし)

汁物が多いのが特徴

蟹入り海賊汁
76kmのトランジット付き大エイドの名物蟹入り海賊汁は、甲殻類アレルギー持ちのため残念ながら食べませんでした。
海老も蟹も大好物なのですが、食後に汗をかくとアナフィラキシーを発症する確率が高いのが残念な私の身体です。
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ランニングと食物依存性運動誘発アナフィラキシー
記事タイトルを読んで、???な方が殆どだと思いますが、私にとっては深刻な内容なのです。 根本ではいつも物事を面白おかしく伝えられればイイなと思っているのですが、今回は内容が内容だけに真面目な話に終始し ...
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食べながらの旅がウルトラマラソン

ネギも七味もちゃんとあるうどん
のどかな風景

田舎ならではの景色に癒され
上述した通り目の前には山、海、川、田んぼなど、のどかで豊かな自然が常に目に入ってくる1日でした。
人間が自然に惹かれる理由は、人間そのものが自然の一部だからと以前にも述べました。
ランニングしながら自然と一体化、つまりは自ら自然に溶け込みに行く行為、これこそがウルトラマラソンの醍醐味の一つだと思ってます。

坂を登り切れば里山の長閑な風景

田んぼを貫くほくほく線
自然々と言いながら田んぼのど真ん中に建造物、人間は自然を開拓して発展を遂げてきたと実感します。
ほくほく線の橋脚が目の前に迫ってくる景色は、どこか一ノ関で見た東北新幹線の景色に似ていると懐古します。

青空と日本海
ちょとした坂を上り75km付近のマリンホテルハマナス過ぎると、3/4走ってきてようやっと目の前に日本海が現れました。
ここまで山がメインだったため、ガラッと変わった景色の紺碧の空と群青の海原に、元気と勇気が一瞬ですが湧いてきます。 (暑さがピークなので)

終盤の田んぼ一直線
ツラそうな雰囲気が滲み出ている写真は、80kmを過ぎて最後の関門 (86.5km) へ向かう途中です。
新潟県ならどこでも見られる田んぼ道も、この頃には元気ハツラツに走るランナーはすでにいなく、単調な風景も相まってどこか物悲しいい景色でした。
暑さに耐えて歩かない

坂道でカカシからの応援
ここまで掲載された写真を見てお気付きになったでしょうか?
そうなんです。この日は日の出から日の入りまで太陽Maxでピーカンの1日だったのです。
ただしウルトラマラソンは3回目のサロマ湖、4回目の四万十川ウルトラと、写真撮影とエイドでは絶対に歩かないとの決意で走りました。
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きまりごと
四万十川ウルトラマラソンから今日で10日経って、ようやく通常通りの速さで走れるまでに回復しました。過去に参加した100kmウルトラ4回の中で、初めて参加した能登珠洲ウルトラマラソンに次いで酷いものでし ...
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自身5回目の100kmウルトラマラソンに関して、今回はこの暑さ予報 (最高気温26℃) を抜きには語れません。
感じ方の個人差はあることを承知の上で申しますと、最高気温26℃の中で100kmを走ってはいけません。

フルマラソン、何それ?な長さがウルトラ
予報で暑くなることは分かっていたので今回重要視した作戦は、寒いくらいの朝から後半突入までにとにかく貯金を作り、終盤は完走目的で歩いてもOKとする事でした。
前半は飛ばし気味に巡航してどんどん追い抜いて行き、中盤のアップダウンでは、周りがほとんど歩いていても決して歩かずに上り続けました。

52km過ぎに見た沿道の気温計
予報通りやん
正直山間部は日陰があったのでまだマシだったのですが、柿崎からモロに正面から日差しを受け始めてからが灼熱地獄となりました。
さらに終盤の疲労著しいコンディションも相まって、長時間に渡り身体に堪えました。
汗が噴き出てランパンはびっしょり、真夏のランニングと同じ環境が、100kmウルトラで再現される貴重な体験となりました。
ただし最後の大会が雨でグダグダになるより、晴天で素晴らしい景色と出会い、ランナーも関係者も記憶に残った大会となったことは喜ばしいことです。

正面に太陽のツラい時間が続く
数年間眠っていた愛媛マラソンキャップをこの日は被っていました。ここぞとばかりにツバを前に戻して目深に被り直します。サングラスもしっかりと装着しました。
エイドの被り水で頭や腕を冷やしてゴールを目指したのですが、暑さは否応なしに体力を奪って行きます。
心折れかけてもまだ走る、まだ走ると頑張ってきた気力は萎え、先延ばししてきた「もう歩こう」を76kmの大エイドで決断しました。
ここでカミさんにLINEをしました。
当然本意ではなく、完走目標ですからリタイヤなんてありません。愚痴でも吐かないとやってられなくなって出たセリフでした。
ただ、エイドと撮影意外歩かず76kmまでよく走り続けたと自分を褒めました。

2回目のトランジットでシューズ交換
そんな歩きを決意した76kmエイドまで、今回は薄底ノンカーボンのアディゼロジャパン9で走ってきました。
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アディゼロジャパン9 (Adizero Japan9)|脱・厚底シューズ、薄底への懐古
今はここぞのポイント練習や、マラソン大会以外は厚底カーボンシューズは履いていません。 厚底を履き始めた頃から慢性的な股関節痛を抱えてることから、その原因の一端であるであろう厚底から離れていることは以前 ...
続きを見る
裸足感覚でここまで不満なく走れたのですが、ゴールまで残り24kmは全身が衰弱気味だったのでカーボンの助力を貰いたかったのと、気分転換を兼ねアディダスボストン13へシューズ交換しました。
結果論として最初から薄底よりも厚底シューズの方が、クッション性とアシスト機能により脚が温存できるためウルトラ向きだと思いました。

ボストン13でゴール
と、一旦ゴール後の完走メダルの写真を掲載しましたが、残り24kmが本当に長くツラい旅程となりました。
ここで後悔の念が湧いてきます。
エントリー時にはどうせ完走は余裕だし、長い制限時間で申告をする意味はないとの判断でCブロックにしました。
でもスタート時で1時間のビハインド (ハンデ) がこの暑さでレース終盤にここまで響くとは予想だにしませんでした。
さらに一度歩くと決めてしまうと、さっきまでの頑張りが一気になくなるから不思議なものです。
ここまで溜め込んだ貯金を、暑さで朦朧としながら歩いては走るの連続で一気に吐き出し始めました。

次が4.9kmは長過ぎると感じる暑さ
それでも終盤の歩きは織り込み済みだったものの、ふと思い出したのが柿崎のエイド出口にあった看板です。
16:50までに86.5kmの関門通過しなければアウトになるという看板、まだ3時間以上もあるから気にする必要はないと思ったのは確かです。
その後は脚全体の疲労というよりも、ずっと悩まされている股関節が限界を迎えました。歩きと走りでキロ8分オーバーが多ってきました。

ようやく気温が下がり始める
80kmを過ぎた辺りで、このペースでは結構ギリかもと思い始めます。
関門後に残り14km (ゴールまで制限時間1時間40分)あることを考慮すると、関門突破しても体調が急変して完全に走れなくなればDNFがチラつきます。

日の入り、長い1日もあと少し
86kmの関門を約25分前に通過、あと2時間で14km消化すれば完走です。
ここからは無理せずに時計を見ながらゴールまで体を運ぶだけです。
「これって完走できますかね?」
ゼッケンCを付けているからか、ゴールが近くなると話し掛けられます。
私が丁寧に答えると安心した表情で去っていった年配ランナー、また明らかに私に合わせて走ったり歩いたりする女性ランナーもいました。
ゴールまでエスコートできて何よりです。

旅の終わりはすぐそこ
残り1kmを残して時計を確認、制限時間の18時30分まで12分あったので、ここで完走を確信して走り出しました。
というのは嘘で、もう今後ランニングできないのではないか?と言うほど股関節が痛くて脚が上がりません。
ゴール直前まで歩き残り200mからちょこちょこ走り、上越高校野球部とハイタッチして制限5分前にゴールを迎えました。

うぇ〜いと連呼してハイタッチ
応援や運営

いつまでも聞こえる太鼓を叩く音
上越市民やボランティアの方による温かい声援は、大都市の大会とは異なりまばらですが、「来てくれてありがとう」「走ってくれてありがとう」の言葉に胸が熱くなります。
これを一日中浴び心に沁みました。
玄関前で応援してくれるご高齢者が多いこと、この30年間でしっかり地元に根付いていると感じます。
90.3km地点の上広田公民館レストでは、
“頑張った 頑張った 90km”
”ここまで来たぞ 90km”
の掛け声にどれだけ勇気付けられたことか。
すれ違う車の窓からの声援はちゃんと聞こえていました。全面で交通規制されるフルマラソンでは決して味わえないものでした。

暗くなれば投光器
交差点があれば必ず旗を振って分かりやすい誘導があり、また暗い場所には照明を設置したり反射タスキを配布してくれたりと、30年積み重ねた運営ノウハウがあるからこそのストレスフリーなおもてなしでした。
全国各地のマラソン大会へ参加して、ここの自然、食、風土、人柄になぜか惹かれるなぁと感じる場所が稀にあります。
ここ上越市がそれに該当します。

完走メダルに上杉家家紋
レース後
ゴール会場から駐車場へのシャトルバス内はとっても静かでした。
皆んな疲労困憊な面持ちで嘔吐しているランナーもいて、やはり暑さと過酷なコースに1日大変な思いをしたのは自分だけではないと知らされます。
そして過去のウルトラ後にもあった強烈な寒気が襲ってきます。
バスを降車後マイカーまで300m、股関節が痛くて歩行困難だわ、体の震えは止まらないわでレース後に最大の苦悶時間が訪れました。
一瞬車の暖房に助けられたのですが、ホテル到着後 (2泊目はホテル泊) は風呂に浸かっても中々温まりません。
食欲もなくゴール後の汁物サービスは辞退、本当は夜の街に繰り出す予定だったのですが、お酒も飲む気に全くならず。
100km走って夕飯なし酒なし、そして眠りたくても寝付けない苦痛。

50kmが中間ってバグってるって
いや〜また参加したい度
改めて100kmにも及ぶ運営を安全安心に催し、私たちの心に深く刻む何かを与えてくれたことに、大会関係者や地元の方、ボランティアや遠方から応援に来た方、そして一緒に走ったランナーの皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。
もしもえちご・くびき野100kmマラソンは30年間練りに練られ、上越市の方達の熱い想いが所狭しと詰まった大会でした。
間違いなく全国に胸を張れる大会です。
ウルトラマラソンで隔年開催とまでは言わないまでも、どうかフルマラソン大会として復活してくれませんかね。
いつか再開するその日を信じて待っています。
いや〜また参加したい度

もう一度日の出を見たい
