もうすぐ初マラソンに挑戦してからちょうど10年になります。
2009年11月8日あの日のあのゴール後、顔から首から全身塩まみれになりました。
目標達成できず悔しい思いを胸に、混雑する東海道線で帰宅した記憶が蘇ります。
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マラソン挑戦前の私は
フルマラソン挑戦前に、私は7年間のジョギング経験がありました。基本は1週間に2回5キロをメインに、たまに10キロを織り交ぜてのジョギングでした。
あくまでもジョギングだったので、今の様に「キロ4分で走る」などという概念そのものが当時はありませんでした。
ただ痩せたいため、もう太った姿に戻りたくないために、体型維持のためだけに走っていました。
2009年11月8日第4回湘南国際マラソンが初マラソン
初マラソンの目標はサブ3.5
当時同僚に、ちょっとだけマラソンに興味を持ったランナーがいました。
「初マラソンで3時間半切ったら、好きな飯を奢るよ、高いやつでいいよ」
と煽られたのです。
単純にどうせ無理だと思われてる事が悔しかったことが、初マラソンにサブ3.5を目標に掲げた理由でした。
当時の練習記録が出てきた
メモ紙に殴り書きされた当時の練習記録を発掘しました。懐かしむと共に、この内容ではサブ3.5は無理だわ、と今では冷静に見て判断できます。
スピードが圧倒的に足りないのと、ロングペース走も総体的に少ないことです。
当時は10キロや15キロをサブ3.5ペースで走れただけです。それだけでフルも通用すると過信していました。
想定以上にペースが上がらない
レース当日には、マラソン大会の参加者の多さに驚き、程よい緊張感を持ってスタートラインに立ちました。
キロ4:58で走ればサブ3.5は達成できるのですが、キロ毎にラップタイムを取っていた(当時GPS機能なんて付いてません)のですが、キロ5分が序盤から切れない記録が続きます。
大規模大会にありがちな渋滞にハマり、マイペースで走らせてくれないのです。ペースが上がらないからどんどん焦っていきます。10キロを0:50:38で通過した時点でペースを思いっ切り上げました。
気温が高い
マラソンのタイムが気温によって大きく左右されるなんて、そんな知識は当時微塵も持ち合わせていませんでした。「汗は勲章」との訳が分からないスポ根で汗だくでペースを上げました。
当日の最高気温は20℃で次第に晴れとなり、遮るものがないから容赦なく日差しが刺さります。
レース後に塩まみれに気付いたのは、帰宅途中の電車内で窓に頬杖をついた時でした。
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ハーフで脚が終わった
海岸沿いの国道、往路ではほとんど海が見えない湘南国際マラソンコース、大きな江ノ島が間近に見えてくると折り返し地点がいよいよです。
当時はその時点で体力的に一杯々、脚に力が入らなくなってきました。呼吸だって苦しいし、上げたペースを維持できなくなります。
この時点で初マラソンサブ3.5は無謀だったと悟りました。
それでも意地だけはあった
落ちていくペースを最低限に抑え必死に走って来ました。でも西湘バイパスに入る登り坂、ここでついに早歩きのペースまで落ちました。それでも初マラソンにあたり、自分の中で決めたルールがひとつだけありました。
それはどんなに辛くても歩かないこと。
基本的にマラソン大会は、どんな大会でもゴールまで辿り着けば完走扱いです。しかし私は「歩いたら完走とは言えないし、歩いたら敗北」という意固地な考えで初マラソンのスタートを切っていました。
早歩きの方が早いんじゃね、と終盤は薄々感づいてはいました。でも走るアクションだけはヤメたくなかったのです。今なら故障とかダメージが残るのを嫌い、あっさりファンランに切り替えるのですが当時は違います。
目標をサブ4に切り替えた
湘南国際マラソンを走った事がある方なら賛同してくれると思うのですが、一度ゴール地点を過ぎてから往復約4.5キロ走るコースは精神的にかなりキツいものがあります。
しかも直線なのに、走れど走れど折り返しが見えてきません。
早歩きペースでしたが、はたから見て走ってる風に脚を動かし続けました。意識は朦朧とし、時計を見ると何とか4時間は切れるかもと回らない脳みそが計算し始めて出た答えは、
ただ何とかサブ4は達成したい、でなければ同僚に会わす顔がないと思っていました。
脚が完全に終わった
マラソンのラスト5キロでキツい思いは沢山してきました。でも初マラソンの37キロ以降は、本当にそれまで見たことがない別世界でした。
歩かないと決めていたので、もうヤメたい、歩きたい、帰りたい、酒飲みたい、って心の底から叫んでいました。
脚は棒、胃は補給を受け付けず吐き気、手は痺れ、汗も塩と変わり果てました。典型的な脱水症状です。今なら絶対に潔く歩きます。
命の危機状態で走る理由は見当たりません。でも当時は30代半ば、無知で邪険で怖いもの知らず、前しか見えずに走っていました。
ようやくゴールが見えた時、今と同じように最後の力を振り絞って走り切りました。しかしゴールの瞬間に時計を止めてタイムを見て呆然としました。
4:00:31
脚がまともに動かずゾンビ状態、フラフラで完走メダルをかけてもらい、荷物を受け取りました。塩でザラザラの体さえ拭かず、ボーとしながら着替えを終えて帰宅の途につきました。
翌日からの筋肉痛は経験したことがないもので、はたから見たら骨折や重度の捻挫でもしているのではないか、と思われるくらいのゾンビアクションです。
だからこれからも走り続ける
そんな初マラソンから10年、いつの間にか走歴は長い方の部類に属し、なぜ走っているの?って聞かれたらなんて答えるのか?
幼い頃から引っ込み思案で恥ずかしがり屋、消極的な行動で失敗したことはたくさんありました。そんなネガティヴな自分と決別するために走ってきたのかもしれません。
また以前にも書いたように、生きている実感を感じたくて走っています。走りながら感じていること全てが生きている証しです。
そしてマラソンの記録更新は、モチベーション維持になるからまだまだ狙っていきます。
ただ時折「楽しんでるかい?」と自問することにしています。
趣味なのに追い込み過ぎてもストレスになるだけだし、気分が乗らない時にルーティーンだからと無理に走りに行くのは、もうやめています。
そして加齢でタイムが出なくなった時、楽しめなければ走ること自体を辞めるつもりでいます。
ただ今の所は、マラソン熱は未だ冷めず趣味として楽しめているかな、と思うのでこのまま継続する腹積もりです。
不整地ランはホントに気持ちいい