2025年7月下旬富士登山競走山頂コース、関門突破できずに五合目敗退、トボトボとバスターミナルへ向かう途中で眼下に見たのは富士吉田市や河口湖と山中湖でした。
4年も続けて同じ光景が広がり、
と大きめに声に出したあの日。
翌日に富士登山競走を振り返り再びやってやろうと決意、やる気みなぎる私の2025-2026マラソンシーズンはここから始まりました。

4年連続この景色で終わりまた始まる
その後は徳を積んだのではなく、お金を積んだおかげで東京マラソンに出走が決まった猛暑の8月以降、大会予定と練習を組み立てた後は、亀のペース如くひとつひとつ地道にポイント練をこなす日々でした。
2026年3月1日を迎えた最終戦の都庁前、この日暑くなる予報の東京マラソンは朝から快晴でした。
スタート前に見上げると都庁と青い空、シーズン通して大きな怪我と病気なくここスタートラインに立てたことに支えてくれた家族に感謝、あとはメンタルにスパイスをかけて奮い立たせ走るだけです。
そして白い紙吹雪が舞って勝負レースの東京マラソンはスタートしました。
※個人的レポで長いです
※文中のリンクは過去記事です

2026年3月1日東京マラソン当日
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私の東京マラソン2026
これを書いてる今は、東京マラソンからあっという間に10日過ぎています。
慢性的な股関節の痛みと疲労により、久々に芝生の緩ジョグオンリーな日々を送っています。
PBを出した訳でもなくタイムだけなら平凡な結果だったのですが、東京マラソンロスが大きくて感慨にふけっていると決まって「東京マラソン良かったからまた走りたい」となるのです。
次いつ走れるのか?、想像すらできないのが東京マラソンです。よって大会レポ兼備忘録として今記事を残しておきたいと思いました。
需要は極小だとして記録が伸び悩んでいるランナーに届けば幸いです。

今回のゴール後は沢山もらえた東京
スタート前

他大会にはない金属探知ゲート
東京マラソンのスタートは家から30分ほどですが、こんなに近いのに抽選なので最も遠いスタート位置なのです。
新宿駅から都庁まで今回は工事の関係で地上を進みますが、ボランティアが要所に立って案内してくれるのでまず迷いようがありません。
7:00のスタートエリア開門と同時に入場は、2019年、2022年参加時と同じタイムスケジュールです。
ブロック前方を確保するために1時間10分前には整列を終えることから逆算すると、余裕を持つなら開門と同時がベストなのです。
手荷物を預けてからは地上へ上がり、コース脇に並列設置されたトイレではなく、都庁側に少し離れたトイレがガラ空きで穴場ということも参加経験で知っています。
最後の用を足してブロックへ、Cブロック前方を難なくゲットした後は修行僧になってジッと待つだけです。晴れていても陽が当たるまで時間を要するので、寒さ対策で100均合羽2枚と例の腹巻きで寒さをしのぎました。
後ろが騒がしくて振り返ると三津家氏、彼も同じCブロックなんだと周りを見渡すと、確かにサブ3っぽい方が多いこと・・・今年はCブロックの範囲が長いことは、参加プログラムのスタート図で確認していました。(私は願望込みで3:14:59で申請)
ちょっと早く並び過ぎた感が否めませんが目標のレースですし、後ろに並んでどん詰まりとかは嫌だったので前目で良いのです。
ちなみに狭山湖で地味にすれ違った山の名探偵・工藤真作君も初マラソンで東京走っていました。(全体20位、日本人5位)

都庁敷地内に長い仮設トイレ (見えてる分で1/2)
序盤

スタートして1kmちょっとのガード下 (当日朝撮影)
今日の目標は今現在出来得る最大限を出し切ることです。それはやはりPB狙い。
今の実力だとかなり厳しいことは承知の上、でも東京マラソンだから狙いたいのです。そのために何とかPB達成をできる可能性を探ります。
それはタイムに響く無駄な動きを一切しないこと、フォームはバランスが取れているニュートラルを一定に保つことを意識、そして自己ベストペースを維持することに全神経を集中しました。
PBはキロ4:41なので、キロ4:40前後土5秒をとにかく刻み続けることを目標に、落ちてきても焦らずキロ5で粘り通すことを2025-2026シーズンの集大成としました。
※最新のガーミンはビル群でもGPSが正確
スタート後は東京マラソンの特徴の一つ、初めの約10kmが下り基調なのです。
ここ東京に向けて鍛えてきたこと、東京に向けて体調を整えてきたことで、下り基調なら速くなって当たり前。案の定この区間は羽が生えたような速さでした。
ただし抑えるのに必死とかではなく、準備運動感覚で無理せずに脚を回して想定ペースより7、8秒速いかなという感じでした。
さすがに4:20秒台前半が出た時は意図的に100m位ペースを下げ調節しました。周りの皆さんも飛ばし過ぎ感は否めず、東京マラソンのポイント区間があるとすれば、序盤の下り基調区間は間違いなくそれに当たります。

市ヶ谷付近も下り基調 (2019年試走時)
中盤

目の前にスカイツリー (2019年試走時)
最初の頃参加した大会ではイヤホンをしていたのですが、今はマラソン大会では耳に入ってくる自然な音を大切にしたいため耳は塞いでいません。
声援に対して笑顔で手を振ることが増え、返答する意思ありを表出という意味でも大切だと思っています。
しかしこの日は一切無視、というか目の前の一点を見つめて視線をずらさず、重心をニュートラルに保つことに全集中しました。雷門とかスカイツリーさえたまたま視界に入ってきた感じでした。
90以上の大会史上最も集中していたマラソン大会となりました。
具体的に上述した詳細として、仙骨 (尾てい骨) を後ろから押していくイメージで、頭の位置を体幹軸の上にバランス良く乗っけて (ニュートラルに保って) 、最も路面からの反発力を受ける姿勢を保ち、脚を回すことにとに集中して丁寧に走ります。
しかし序盤からぶっ放した昨年の静岡マラソン程ではないにしても、ハーフを過ぎてからペースはしっかりと漸減していきます。
これが現時点での実力と開き直り無理にペースは上げず、PB狙いを頭の片隅に置いて今出来る精一杯で走っていきます。
その結果キロ4:41ペースは無理でも、30kmまで平均4:45台を維持して順調に走ることができました。

門前仲町から蔵前橋へ戻ってきたらいよいよ終盤 (2019年試走時)
終盤
MINATOシティハーフ時の景色もチラ見
30km通過のタイムが2時間22分、このままペースが落ちても想定内のキロ5分付近で粘れば3時間22分前後のフィニッシュとなります。
コロナ禍後の大会では経験ないくらいの余裕度で迎えた30kmだけに、緊急事態が発生しなければサブ3.5は間違いないと確信しました。
フルマラソン3時間22分は現時点では及第点 (松竹梅の竹) 、そもそも25分切りはいつ以来なのか。
まして何かの間違いで覚醒してスパートを掛けられれば3時間20分に迫るタイムも夢ではありません。この時頭をよぎったのが、
フルマラソン30km以降の疲労度 (まだまだイケる感 or もうダメだ感) が全然違うのです。
もう一度ベースから作り上げた成果が実を結んだと嬉しくなりました。
思い返せば去年の1月に何が足りないのか?と最も走力が高かった頃の練習記録を全部調べ上げたんです。そこで突き付けられたことは、
敬遠しがちになった理由 (言い訳) は明確で、怪我が多発したことでメンタルがそこまで乗り気ではなかったことです。でもこの1年以上はそれに近い練習をやってきました。 (それでも9勝1敗くらいで逃げもあった)
怪我が怖い心理は変わらずにペースを少し落とし、その代わりに本数を増やす練習にシフトしました。
それが全盛期より20秒も遅めでもインターバル10本やり切ることであり、レースペースより遅めでも20km以上のロング走を10月以降19本走ったことでもありました。

路面のきめ細やかさ (増上寺付近)
最終盤残り5km

東京マラソンゴールシーン (夜バージョン)
その後37km過ぎて走行ペースはキロ5分一桁台まで落ちてきたもののスタートしてからの集中力は継続中、ようやっと田町駅の最後の折り返しを迎えました。
いつもなら17℃にもなると暑さに弱気になるのですが、今回はここまで全ての給水を取り、腕にも水をかけて出来るだけ日陰を選んだためそれほど暑さを意識しませんでした。
実際はタイツに潮が吹き、発汗量が多かったのですが、気持ちが入って集中していると暑さはどうでもよくなりました。それが東京マラソンなのです。
あと5kmですし粘れているので、今回はイケるとここで気が緩んだのは間違いありません。
2024年参加したMINATOシティマラソンを思い出しながら増上寺が見えた頃、最後の補給ジェルでカフェインを注入して家族が待つゴールを目指します。
38kmを超えると流石にフォームが乱れてきたことを自認、そして集中力が切れ始めてきたこともわかっていました。
この頃からピクピクと5年間お世話している脚攣り症状がお出ましになりました。
でもこちとら経験値が違います。ペースを落とせば走れることを知っているので、普段のEペース走並みに落ちたのですが、今日はこのまま行っても3時間25分は切れます。
しかし、確か39.5kmくらいだったと思います。騙し騙しが限界を迎えたのか、突然攣りの完全体が襲ってきました。
まさかの緊急事態発生で脚を止めて歩き始めます。

ランドマークのミッドタウン日比谷が右手に見えればゴール間近
ゴール直前

ゴールエリアの観覧ゾーンに当選 (レース後に撮影)
結論から言うと40km手前で完全に攣ってからの残り2kmが、過去に経験したことがないくらいの地獄でした。
ここまでアドレナリンがドバドバ放出され上手く走れていたのに、歩いたり止まったり走ったり・・・ と一転して非常にマズイ状況となりました。
それでもミッドタウン日比谷を超え迎えるは石畳の丸の内仲通りだけです。
ここは狭い花道の両サイドからの応援が他では味わえない空間でした。
前々回は極寒の雨、前回はコロナ禍でしたから大声援というほどではなかった記憶ですが、今年は外国人応援も混じり数がただただ凄いの一言です。
まさにラスト1kmは東京マラソンのグランドフィナーレです。
それなのに走れない自分、時計が高速で時を刻んでいきます。ゴールまで1km切っているのに頭の中が真っ白です。
他ランナーのスパートの邪魔にならないよう左フェンス側へ寄って歩いていました。そしたら瀕死の私へ「最後まで頑張って」の声援です。
ショートヘアの可愛らしい女性 (好みのタイプ) の優しいお声掛けを頂き我に返りました。
これまで見向きもしなかった声援ですが「そうだ声援に応えなきゃ」と、その方の目をしっかり見て「ありがとう」と言って鋼になった脚を無理駆使動かします。
あとたった500mなのに・・・ここでグロスサブ3.5のペーサーに抜かれました。
逆サイドで何度も攣って転んで何度も立ち上がってゴールを目指すランナーが見えました。同志よ、お互い最後まで頑張りましょうとエールを送ります。
そう奮い立たせ迎えた最終左コーナー、なんと膝下がガッチリ固まり足攣り完全体再降臨!
東京マラソン柄に彩られた鉄柵に捕まって静止 (オールスポーツに映ってた) 、つい30分前までサブ3.5は余裕だと奢った自分を呪いたくなりました。

あの柄の鉄柵で体を支える悲劇 (フィニッシュ後撮影)
まとめ :足りなかった課題
まずはサブ3.5は死守したものの40km以降の2.195kmのタイムが15分、これは沢山走ってきたフルマラソンでも最遅のタイムです。
コロナ禍前まではラスト2.195kmを10分前後で走れていたことを考えると、その差5分が劣化 (老化) と捉えることができるのですが、その原因が再現性が高い足攣りである現実をどう今後対処していくか?だと思っています。
脚がキツくてもう動かないでタイムが遅いならまだしも、脚攣りで動かないことに腹立たしささえ覚えます。
それが走力 (加齢) だから、と言われればそうなのかもしれませんがどこか腑に落ちない部分があるのです。「以前は出来ていたのに」が精神的にキツいのです。
ただし今回の東京マラソンは手応えも掴めました。脚を攣るまでの40km弱までの粘り (メンタルとフィジカル) は、どう考えても積み重ねてきた結果としか説明がつきません。
そういった意味で「フルマラソンはやっぱ面白い」と再確認、こう思えるからこそランニングを長く継続してきたんだと思えました。
再びそう思わせてくれた東京マラソンでした。

それぞれの東京マラソン
