遡ること今から18年前の2001年、あの頃は一刻の猶予もなく劇太りでした。
日常生活の中で異常に体が重く感じられたうえ、キツイ運動なんて全くする気も起きない自堕落な20代を過ごしてました。
学生の身分で自由気まま、社会的な抑制が皆無の至極の4年間を過ごしていました。今の社会人生活とは全く真逆な生活がそこにありました。
当時考えていたことは、そろそろ暴飲暴食を卒業して痩せなければとばかり考える日々、色々と決心しては行動に移さない日々が続きました。
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ダイエットのために走ることを決めた2001年夏
さあ、痩せるために何をしたらいいのだろうか?
自問自答した結果出した答えは単純明快でした。
前年に高橋尚子さんがシドニーオリンピックでマラソン界初の金メダルを獲得し、そのことで世間のマラソン注目度が一躍上がることとなります。
2020年も過ぎた今から思い返せば、2000年初頭が元祖マラソンブームの始まりだったと言えます。
2022年現在ではウォーキングやランニングをしていても、確かに当時はすれ違うランナーが今よりも明らかに少数と感じていました。
痩せるために最初にやったこと
2001年夏において、走る決心をした私が最初にやったことは、それは現状把握のためにとりあえず今現在ダッシュでどこまで走れるか確認することでした。
上下スエット、靴は普段使いのスニーカーを身にまとってダッシュしてみたものの、肺がパンクするくらい激しく息切れして50mさえもまともに走れなかったことを今でも鮮明に覚えています。
大学生になって友人たちと深夜のお祭り騒ぎ、よって何年も運動ゼロの生活、暴飲暴食は当たり前、過度の飲酒喫煙と徹夜麻雀がデフォルトの不摂生生活を送っていました。
これでは思い通りに身体が動くわけがないことは明白でした。
走り始める前にやったこと
80キロを超えていた堅い身体で、一念発起したはいいけど長時間のランニングは到底不可能でした。そこでない頭で当時じっくり考え、次に練った策は歩くことでした。
恥ずかしながら当時の私は大学卒業後に就職が決まらず、自由気ままなフリーター生活真っ最中でした。
社会人となって20年近くの今とは違って、当時は気が赴くまま自由に使える時間はいくらでもありました。
久々の運動ですから走ることを断念、まずは1週間に2回以上の2時間ウォーキングを目標にしました。基礎体力をつけることに専念した結果、3ヶ月ほどで体重は5キロ減りました。
そんなウォーキングの合間にちょっぴりランニング(30m〜50m位)を織り交ぜた結果、さらなる体重減少の産物を頂くこととなります。
走ることが習慣化
ウォーキングの合間にちょと走ってみるかと織り交ぜた走りが、30mから50mに、50mが100mに徐々に伸びていき、いつしか1キロを無理なく走れることが出来るようになります。
今でこそ1キロは全く気にも留めない距離ですが、あの頃はゼエハア言いながら1キロ走れたことが、とても大きな成功体験に感じたものです。
こんなあんなのウォーキング&ランニングを継続すると、長時間のランニングに身体がどんどん順応していきす。これまでこんな感覚は経験したことありません。
その後に60分間続けて走れる頃にさらに体重が減り、軽くなった身体は走ることを求め好循環となりました。週に走る回数が増えた結果いよいよ走ることが習慣となったのです。
2007年衝撃の出会い
その後習慣化したジョギングを楽しんでいると、目の前に大きな出来事が差し迫って来たのではありませんか。
時を同じくして人生初の富士山登頂を達成したことに自信を持った私は、その勢いでフルマラソンをも初挑戦してみよう!と意気込だのです。
その後はフルマラソンを走り切るための練習を重ね、長時間走る距離を徐々に伸ばしていきました。
この時の心理状況は、当選した暁には、いつでも東京マラソンを走れる万全の準備をしておこう・・・と。
しかし皆さんもご存知の通り、東京マラソンはホント当選しません。
とにかく当たらないんです。ある時期当選しやすいと噂になったONE TOKYOプレミア会員に加盟したも、やっぱり当たらないものは当たりません。
初フルマラソンは東京から始めたい、との思いが強くあったものの業を煮やし、2009年湘南国際マラソンを人生初マラソンに選択しました。
※2016年2次抽選で初当選、その後2019、2020年2年連続出走を果たす
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湘南国際マラソン以降マラソンにハマり現在へ
ダイエットのために走り始めて偶然にも東京マラソンに出会い、趣味が確立されてからは、マラソンを中心に走って現在に至ります。
あの頃生まれた子供達はもう高校生なのです。この18年間思い返せば、様々なことがありました。
- 走って16K減量
[マラソンにハマりさらに減量加速化] - 屈辱の初マラソン
[大失速でサブ4に30秒届かず] - ウルトラマラソンの洗礼
[体力の限界、苦悶の能登半島102K] - 歓喜のゴール
[どんな苦難も乗り越えられると思った] - 大自然に溶け込んだあの秋
[最後の清流・四万十川] - 豪快にコケる
[膝から大流血] - 真冬のガチ皇居4周で激的に抵抗力落ちる
[結果インフルエンザ] - 肉離れについて|ひとシーズン棒に振った
[大小9回も] - 38℃灼熱ラン
[ニュースでは運動は控えましょうって] - −7℃氷点下ラン
[車のフロントガラスも真っ白] - 雷雨ラン
[目の前に落ちて悶絶] - 雪中ラン
[くるぶしまで積もったらむしろ走ってしまう]
まだまだ思い出せないほどにたくさんの体験してきました。そして走ることと真剣に向き合い、自分なりに真摯にトレーニングに励んできたつもりです。
走り始めようと1歩踏み出す前の人生と、結果踏み出した今とでは見える世界が大きく異なります。
先ほども触れましたけど、人間の身体の順応力には春夏秋冬を通して心底驚かされました。
あの50mさえ走れなかった85キロ近辺の肥満体が、10キロ走で40分を切り、初マラソンの記録を43分縮め、100キロウルトラマラソンを10時間半で走り切るなんて我ながら思いもしませんでした。
ドラクエみたいなRPGのように、広大な世界に分入って鍛錬するたびに走破タイムが速くなり、走力レベルは目に見えて上がっていきました。
これこそが正に人体の不思議と言えます。
生きている実感を味わっていますか?
そして何よりも走ることで、強い心を持てるようになりました。生活の中で嫌なこと、不満が募る人間関係、もちろん思い通りにならないことは多過ぎてそれこそ星の数ほどあります。
しかし、私はそう簡単には腐ったり、諦めたりしないよう立ち向かうよう心掛けています。これは長く走って見てきた世界を鑑みると、今イライラしていることは、ほんの小さな世界で起こっている出来事にしか思えないからです。
私事ですが、この19年で祖父母、叔母、同僚、知り合いとたくさんの死と直面してきました。死という悲しい出来事を受け入れたからか、走っている時間は生を強く意識するようになりました。
だからこそ今までは諦めた想いを振り返り、これから生をとことん楽しく味わって、いつだって健気に走り続けること決心しました。